八幡市議会議員小北ゆきひろのブログです! 気ままに思いを綴っていきます!
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問 題141(やわたものしり帳より引用)
かつて、京都から高野山への参詣道として用いられた八幡市を通る街道名は何か。
○正解を次の(A)~(D)から選びなさい。
(A)東高野街道 (B)西高野街道 (C)中高野街道 (D)下高野街道



解 説
平安時代初期、真言密教の開祖空海が京都と高野山に本拠地を築いて以来、多くの信仰者が高野山への参拝道として用いた街道のうち、京都と高野山を直結するのが、八幡を通る東高野街道である。
この街道は、八幡で京街道と別れ、洞ヶ峠を越えて生駒山西麓から大和川を渡り河内長野まで全長約54キロメートルあり、この河内長野で西高野街道と合流し、以南は高野街道として紀見峠を越えて高野山に至っている。
いつごろに形成された街道か定かではないが、既存の集落を経ずにできるだけ直線になるように通されており、計画的につくられた古代道路であるといわれている。


○正 解 (A)

問 題142(やわたものしり帳より引用)
橋本平野山で発見された楠葉平野山窯跡(くずはひらのやまかまあと)は、7基からなる半地下式の窯である。
飛鳥時代、貴族の間に仏教が普及するようになり、寺院が造立され始めたころ、聖徳太子が建てたと伝わる、ある寺院の瓦がここで制作された。
さて、その寺院はどこか。
○正解を次の(A)~(D)から選びなさい。
(A)橘寺 (B)四天王寺 (C)法隆寺 (D)東大寺



解 説
楠葉平野山窯跡で出土した「素弁八葉蓮華文軒丸瓦(そべんはちようれんげもんのきまるかわら)」が、大阪・四天王寺で出土する創建期の軒丸瓦と同じ木型で作られたことが判明し、四天王寺の造立に合わせて作られた窯であると推測されている。
法隆寺も同じ文様の瓦を使用しているが、楠葉平野山窯跡と四天王寺から出土するものより明らかに木型のキズが少なく、別の窯で作られたものである。
『日末書紀』には、推古天皇元年(593年)に四天王寺の造立が始まったと書かれているが、楠葉平野山窯跡の年代は600年代の前半から中ごろと考えられている。
楠葉平野山窯跡は、八幡市と枚方市にまたがって発見された遺跡で、平野山から枚方市側に向かって傾斜する斜面に穴を掘り、粘土で天井をつくるという構造である。斜面裾の枚方市側に窯の焚き口があり、その下には大量の瓦や土器を含んだ灰の層が見つかった。焼成されたのは主に瓦である。


○正 解 (B)

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【2010/07/22 22:59】 | やわたものしり博士
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