八幡市議会議員小北ゆきひろのブログです! 気ままに思いを綴っていきます!
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問 題131(やわたものしり帳より引用)
橋本平野山にある「講田寺」に安置されている地蔵は何地蔵か。
○正解を次の(A)~(D)から選びなさい。
(A)喜地蔵 (B)楽地蔵 (C)笑地蔵 (D)泣地蔵



解 説
講田(こうでん)寺の開山は不明だが、本尊に観世音菩薩を安置する曹洞宗の禅寺である。古くは生津村(京都市伏見区)にあったが、水害を避けて当地に移ったとされている。
20段ほどの階段を登ると、本堂が見えてくる。その中に「笑地蔵」が安置されているが、その柔和な笑みのなかに人柱伝説の悲劇が伝えられている。
その昔、淀川に橋が架けられていた。しかし、出水のたびに流れてしまうので、ついに人柱が立てられ、そのためか、橋は流れなくなった。この人柱になった男に1人の娘がいて、娘は父の死を深く嘆き悲しみ、ものを言わない人になった。やがて娘は、父の菩提を弔うために尼となって対岸の山崎に庵を結んだ。それから歳月を重ね、あるとき、朽ちた橋の杭が水底から姿を現し、尼となった娘はそれに地蔵尊を彫って供養をした。人々はこの地蔵を「笑地蔵」と呼び、水難除け、交通安全、安産などの御利益があるとして、信仰を集めるところとなった。


○正 解 (C)


問 題132(やわたものしり帳より引用)
寛永の三筆として有名な「松花堂昭乗」が、男山山中の坊内の一隅に小方丈を建てたが、その坊の名前は何か。
○正解を次の(A)~(C)から選びなさい。
(A)泉坊 (B)萩坊 (C)高坊



解 説
我が国では、明治維新まで神と仏を併せて祀る神仏習合で、石清水八幡宮の境内には最盛期に約60近い坊(男山48坊といわれる)があり、社僧が住んでいた。
松花堂昭乗は、その1つ滝本坊の住職をしていたが、火災により焼失してからは弟子に住職を譲った。寛永14年(1637年)、泉坊の一隅に小方丈を建て、隠居所とした。これが現在、八幡大芝の東方、東車塚古墳の位置に移転され、保存されている松花堂である。
松花堂の建物の構造は、茅葺・宝形造、二畳の茶室には南に土間、西には水屋が配され、仏壇・床が設けられ、住居の性格をも合わせ持った茶室であり、京都府指定文化財である。坊書院・玄関は京都府登録文化財。庭園の一部は、男山山腹の跡地とともに、国の史跡に指定されている。


○正 解 (A)

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【2010/07/01 22:27】 | やわたものしり博士
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